[customer_name] 様
いつも観音山フルーツガーデンをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
本日は、少し個人的なご報告とともに、私たちの歩みの原点を改めて見つめ直す機会となった出来事を、お伝えさせていただきます。
■祖母の旅立ち
先日、四代目である祖母が九十八歳にて大往生いたしました。
長年にわたり、ダイレクトメールなどで「ごあいさつ」を綴ってまいりましたので、祖母のことを覚えてくださっているお客様も多いかと思います。
幼い頃に母を亡くしながらも、周囲の温かい支えを受けて育ち、戦中戦後の厳しい時代を力強く生き抜いた人でした。
祖母は観音山の園地を守ることを生涯の使命とし、病気や大きな怪我もなく、九十一歳まで自らハンドルを握って車を安全に運転し続けました。
家庭菜園で野菜を育て、家族の食卓を支え、日々の暮らしを丁寧に重ねていく姿は、まさに「農家の原風景」とも言えるものでした。
最後には「世話になったよ。」と感謝の言葉を残して旅立ちましたが、その言葉には家族だけでなく、これまでご縁をいただいたお客様への想いも込められていたように感じております。
私自身、もう祖母と直接言葉を交わすことはできないと思うと胸が締め付けられます。
しかしその歩みを振り返ると、祖母は誰から見ても「ええ人生やったな」と笑顔で語れるような幸せな一生を送ったのではないかと思います。
早くに亡くした母や私の祖父とも、天国で再会を果たしていることでしょう。
「私の分までよう生きてくれたな」と抱き合う姿を思い浮かべると、自然と涙があふれてきます。
これまで祖母が大切にしてきたものの一つが「お客様とのご縁」でした。
長年にわたり祖母に温かいお声をかけてくださった皆さまには、心より御礼申し上げます。
■過去帳との出会い

祖母の死去に伴い仏壇を整理していたところ、一冊の過去帳が目に留まりました。
引き出しの奥に大切にしまわれていたその過去帳を開いてみると、そこには代々の先祖の名が連なり、最も古い記録には「天保五年」と記されていました。
天保五年といえば西暦1834年、坂本龍馬が生まれる一年前のことです。
その時代にすでに私たちの先祖が農を営んでいたことを知り、言葉を失うほどの驚きと感動を覚えました。
これまで当園の歴史は「明治四十四年の開墾」から始まると認識しておりました。
祖父が語ってくれたその話を基に、私は自分を六代目と数えてきました。
しかし、過去帳には文兵衛、音吉、円寿良光信(戒名)といったご先祖の名が記されており、文兵衛は万延元年に、音吉の妻と思われる方は天保五年に亡くなられていることが分かりました。
つまり、私たちの農業の営みは想像以上に深い歴史を持ち、九代目としての歩みを私が引き継いでいることを知ったのです。
祖母が残してくれたのは、家族への愛情や暮らしの知恵だけではありません。
過去帳を通して「観音山の歩みは想像以上に長く、幾世代もの積み重ねによって形づくられてきたものなのだ」と改めて教えてくれました。
風雪に耐えながら土を耕し、家族を守り、地域とともに歩んできたご先祖の姿が、目に浮かぶようです。
■未来への誓い
九代にわたり受け継がれてきた観音山の農業。
その重みを胸に刻みながら、私たちはこれからもお客様に喜んでいただける果実づくり、園地づくりに精一杯努めてまいります。
祖母や先人たちが守り抜いてきた園地をさらに魅力あるものに発展させ、未来へとつなぐことが、今を生きる私たちの使命だと考えています。
どうぞこれからも変わらぬご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
観音山フルーツガーデン
(六代目改め)九代目 児玉 芳典