2、人
なかなか現代だけでは説明できないのが、辛いところです〜。
簡単な(?)履歴をご紹介しますので、垣間見て下さい〜。 |
ヤマチョー農園(愛称:観音山フルーツガーデン)の履歴
(観音山関係だけを記入しております) |
創始者 吉兵衛・オヨシ
(大正15年他界) |
観音山で開墾を始めみかんを植える。 |
二代目 長次郎・コマ
(昭和37年他界) |
観音山でみかんを増植。 |
三代目 正男・フサエ
(昭和20年他界) |
昭和元年から個人出荷を始める。
昭和2年からは付近のみかんを購入し、内地販売と併行して、北米輸出、続いて朝鮮・旧満州などの外地販売を続け、商標も「ヤマチョー」を取得。

(みかんを積んだトラックと、稲藁で編んだみかんの網カゴ(担いでいるもの)と、貯蔵用の木箱(写真右側に積まれているもの)
↓木箱アップ

(木箱に「ヤマチョー」のロゴと、「特選」の文字が見える。)
昭和10年頃からは商取引も活発で、昭和19年頃までは、販売も生産も軌道に乗り、一応は蜜柑経営も成功したかの様に見えた。
しかし、正男がその時流行病であった、腸チフスにかかり他界。

3代目の「ふさえ」と観音山。
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四代目 政藤・照子
(政藤:平成3年他界) |
その後太平洋戦争終結。
政藤も出征先の旧満州より帰国。
正男の他界により、23歳でヤマチョー農園の園主となる。
次のような幾多の難問題が立ちはだかる。
1、農地解放(昭和31年、第90議会 自作農創設特別措置法)
所有農地の8分の5を手放すことになる。
2、蜜柑園の復興と、見返り肥料(北米輸出の再開)
戦中・戦後の蜜柑園の荒廃は甚だしく、肥料不足によって、その復興はおぼつかなかったのが、幸い昭和23年より始められたカナダ向輸出蜜柑に参加して、その見返り肥料(硫安・硝安・過燐酸その他)を樹勢回復に当てた。
3、税金攻勢と農業法人の設立(レヤウプ税制勧告)
他より早く樹勢の回復を図り、これによる収量増加と北米輸出などで収入は増加したものの、次に襲われたのが所得税の重圧であった。
戦後経済界の一大恐慌は税金攻勢で、蜜柑作農家のヤマチョー農園もその嵐の中に巻きこまれていたのだが、昭和24年4月から再度来日して日本経済再建を図った米国コロンビア大学のカール・レヤウプ博士の税制改革による有名な「レヤウプ勧告」で、これによって種々研究の結果、農業も法人化することによって、経営や税制に合理化の道が拓けてくることを知り、全国の果樹生産農家にさきがけて昭和27年2月株式会社柑香園を設立して営業を開始し、その右、十年余りを経過したが、、昭和38年改正農地法によって、農業の株式会社化が認められず、同年11月解散、翌日有限会社柑香園に組織替えをした。

(写真の右は政藤の兄弟である。前垂れに見慣れた文字が!)
↓前垂れのアップ

(ヤマチョーのロゴと、「紀州粉河町」、「株式会社柑香園」とある。)
4、果樹専業農家
昭和37年、水田及び用水池の転作を計画して開園し早生温州と一部はっさくを定植して、蜜柑作の専業農家になった。
昭和35年頃より、個人出荷に戻り、個人出荷兼商人売(土地の商人や和歌山市などの小売店)などを行い、農協や任意出荷団体には加入せず、あくまでも、生産と直売による経営内容で、省力・良品生産・優品販売を目標とした堅実経営に努める。

(一番左が政藤で、一番右が照子。周りの方々はいまで言うパートさんです)
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五代目 典男・美恵子
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児玉 典男(ふみお) 就農35年
(履歴)三重大学農学部農芸化学科(現:生物資源学科)(S47年卒)
子供の頃から、父親の果樹栽培にかける情熱を見て育ち、大学も農学部を選びました。卒業後、即就農。以来34年間、ひたすら柑橘栽培没頭して参りました。今、「安全・安心」の栽培に関しては農芸化学を専攻してあったこと幸運だったと思います。まさに今話題の団塊の世代真っ只中です。
(経歴)
和歌山通訳ボランティアクラブ発起人・初代副会長
和歌山有機認証協会発起人・初代理事
第10回農業情報ネットワーク全国大会事務局長
和歌山農業情報利用研究会事務局長
総合老人福祉施設「高陽会」評議員(現職)
【趣味】・読書(司馬遼太郎先生が大好きです)
・ピアノ演奏(譜面が読めず自己流です)
さくら(森山直太郎)・ダニーボーイ・昔の童謡は何でも
還暦には、ミニ演奏会を開く予定です。
児玉 美恵子(みえこ)事務・発送も担当
(履歴)帝塚山短期大学家政科食物栄養(現:帝塚山大学現代生活学部)(S46年卒)
車で10分の場所に実家があり、小学校も中学校も高校も夫と同じ学校でした。昭和48年、縁あって児玉家へ。後から振り返ればこれも縁、なぜか食物栄養を専攻していました。2女1男の母親です(典男の子供だそうです)
【趣味】読書(テレビで話題になればすぐに読み始めます)
【特技】知り合いの車のナンバーはすべて分かります。数字に強い?

(○十年前の典男と観音山。写真中央の制帽をかぶったやんちゃ坊主。) |
| 六代目 芳典 |
児玉 芳典(よしのり) 就農2年目
(履歴)神戸大学 農学部 植物資源学科(平成11年卒)
大学卒業後、7年間公務員として働かせていただく。
農学部の教授の「お前たちが日本の農業の事を考えなくて、誰が考えるんじゃ!」の言葉を胸に、観音山に日々感謝である。 私自身の頑張りが日本農業のカンフル剤となりえるよう頑張りたい! 好きな言葉は「勇気を出せ!」「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問おう(ByJohn Fitzgerald Kennedy) ただマムシとの遭遇はもうコリゴリ。

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